開業して10年を迎え、これまでの活動を振り返る時期がやってきました。
この10年で私の生き方、考え方も随分と変化いたしました。
すべては関わってくださった方のおかげで、今の私がいるわけですが・・・。
いつもは鑑定にいらっしゃるお客さまや受講生の人生の物語を聞いてばかりいる私が、現在の活動をするようになったきっかけや、どういう想いでこのお志事をしているのかを今回書いてみます。
プロフィールには書ききれていない、元重由起子のこれまでをまとめてみます。
私のルーツ・尊敬する人との別れ
私が最初に就職したのは、地方銀行でした。
これは私が望んだものではなく、バブルが弾けた後でだんだんと就職が厳しくなっていく時代でした。
正直、私に合っていないと分かっていましたが・・・選べませんでした。
現在は初対面の方と話すことは当たり前ですが、当時の私はとても内気で職場の人ともあんまり話すことができない状態でなかなか馴染めず、間違いが許されない仕事のせいもあり、私にはかなりストレスフルな環境でした。
職場的にも、当時の時代的にも、かなり働く女性にとっては年齢や性別での圧力がありました。
「女性が自分の個性を活かして働く」ことの希望を、当時の職場では見出せませんでした。
慎重な性格だったのでお客さまの信頼は得ることができていましたが、ストレスによる脱毛や食欲の低下でみるみる体力が落ちていき、銀行を3年で退職することになりました。(私の中では、やることはやり遂げた感じで退社したので、経験としては役立ったと思います)
退職後、数ヶ月の間。
私は自宅のベットでほぼ眠っている状態でした。幻想的な世界の住人になっておりました。
眠っている間に、私の外側の状況が大きく変化していました。
母方の祖父が癌による余命宣告を受け、母の実家で祖父と最期のときまで過ごす生活が始まりました。
母方の祖父は民生委員をしており。
祖父は民生の仕事で、自宅でも「心配事相談」をしており、そんな背中を見て私は育ちました。
ご相談相手の方が笑顔になってお帰りになられる姿を、今でも覚えています。
祖父との最期の時間は、祖父の生きてきた人生の物語を静かに聞く時間でした。
それはとても複雑な生い立ちだったこと、初めて聞かされました。
それでも曲がることなく真っ直ぐに生きて、たくさんの人に可愛がられ支えられて、生き切ったこと。
祖父の長い人生の物語のラストを、私は立ち会うことになりました。
最期まで周囲の人のことを気遣い、当日まで見事な生き様でした。
死に顔も穏やかで、まるで良い夢を見てるかのような微笑みを浮かべていました。
「死に様は生き様。生き様は死に様。」葬儀の司会の方の言葉が響きました。
私の尊敬する祖父の死の後、私の両方の手のひらには神秘十字が刻まれました。
「死」を通して、生きること。その意味をどこか教えられたように思えました。
後に数秘術を知ることになり、この時の年齢が私にとって「ターニングポイント」1つ目の年でした。
ちなみに、祖父と私の誕生日は、実は生まれた月・日の数字が反対の数字なのです。
数字の要素でみると、祖父との関わりが深そうだと感じるようになったのはごく最近です。
開業することになった経緯
それからは残された祖母との生活が始まり、私自身も転職をして以前より職場の人と話せるようになっていました。
几帳面で真面目。仕事ぶりがキレイだと喜ばれ、仕事一筋な毎日。自分はお仕事ロボットじゃないかと思う位に仕事ばかりしていました。自分の能力をフルに活かして、喜んでいただけるのは良かったのですが・・・。
「頑張る」が当たり前過ぎて、段々とお仕事ロボットは人間に戻りたくなっていました。
さすがにこのままだとダメだと思い、思い切った選択をしたのが「ターニングポイント」2つ目の年。
ここからは、仕事の帰りに何かを学びに行く生活が始まりました。
私にしてはかなり思い切った行動でしたが、後に大きな影響を与えることになる出来事でした。
ITやWeb関係に興味を持ち、さまざまなスクールに通いました。
Web制作に関する技術的なこと、知識的なこと、配色やデザイン関係のこと・・・たくさん学びました。
気軽に始めたドラムをテーマにしたブログはかなり好評で、当時の趣味だったドラムの練習台セットを他県からプレゼントしてくださる方までいらして、私にとってWebは本当に有難いツールでした。(当時のブログは、サービスが終了し消滅しています)
Webの世界にどっぷり浸かっていた頃。
スクールの隣の席の人の勧めで、ある占い師に出会ってしまうのです。
ここから見えない世界との接点ができてしまいました。
私の数秘術でいう「環境数」をしっかりと抑え込まれ、だんだんと怖い世界に入っていくのです。
見えないものとの闘いが始まり・・・。かなりもがく羽目になってしまいました。
自分の足でしっかり立って、「今」をしっかり生きる必要性を理解しました。
その打開策は、ネットでたまたま見つけた「数秘術」でした。
「ターニングポイント」3つ目の年でした。
調度、見えないものとの闘いの中。私は病気で外出禁止の身。
全身の毛が抜け落ち、医療用の帽子を被ることになりました。
Web制作会社のスカウトを受けておりましたが、この身体では勤務できないということで辞退することに。
在宅で開業した後に別のWeb制作会社との取引が決まり、真夜中に仕事のデータが来て、翌朝納品という無茶なスケジュールの場合もありました。(要は徹夜)
疲れると再発しちゃうので、案件ごとに病院に駆け込む生活。
点滴打ちながら、仕事のメールをしていることもありました。
そんな日々でしたが「数秘術」を学び始めて自分を知り、自分に向き合う中で静かに何かが変わっていくような気がしました。
私の黒い医療用の帽子がトレードマークになり、気がつくと祖父の帽子を思い出していました。
祖父は黒いベレー帽がトレードマークだったのです。
「数秘術」でどなたかのご相談を受け、人生の物語をお聞きしている間に、少しずつ身体も回復し元気になっていきました。
1年目で100人の鑑定ができ、私の講座を受講したいと言ってくださる方に巡り合い、多くの方の笑顔を見ることができる日々は本当に有難いと思いました。
ふと、自分のことを深く見つめ直すと。
私の人生パズルのピースが・・・だんだんと組み合わさっていくように思えてきます。
最初の職場で感じた「女性が自分の能力を活かして働くこと」、その後の職場で感じた「お仕事マシーンではなく、人間らしく働くこと」、そして現在は「自分の好きな仕事をし、この人生を自分らしく生き切ること」。
これらが全て、繋がっているように思えます。
さて・・・。
残り1つのターニングポイントがどんな年になるのか。
今から楽しみになっています。
「数秘術」で本当にお伝えしたいこと
すべての出来事が順番通りに、タイミング良く繋がっていく・・・。
そうとしか思えない程の絶妙さに、後から思い返すと驚かされます。
「数秘術」を知らないときでも、「ターニングポイント」では、そのような行動を起こしているのです。
(「アドバンスクラス」の講座中で、ご自身も運気の波を読み解き感じてもらうワークがあります!)
自分の心の声に従って、必要なタイミングで必要な行動をとってきたからこそ、今があると思います。
自分が思い描く「なりたい自分」「こうだったらいいと思う自分」は、既にある。
「行動を起こす」ことで、そこに一歩近付ける。
それは自分でコントロールができることと、できないことがあるけれど・・・。
しかし、「今」をしっかり生きることが大事で、自分で決め、自分の意思で動いていくことで必要な展開がやってくる。
これを私が実感してきて、「数秘術」のセッションや講座の中でも多くの人に感じてもらっています。
一歩を踏み出す勇気がない人の背中をそっと押したり、思い癖で悩んでる人には少しでも心軽くなるように話したり・・・。
もちろん、その人の人生は私には変えられない。
でも、変わる「タイミング」にいる人には、伝えられるものがあると思う。
「今が、あなたの人生の物語が展開していくタイミングですよ」と。
あなたの人生は、ここから面白くなっていきます!
ぜひ、心の声に従って、無理せず一つずつ行動を起こしてくださいね。
きっとワクワクする人生が待っています!
あなたが踏み出す一歩を、私は全力で応援しています!!
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